最後の挨拶

先日、長年当事業所をご利用くださっていた利用者様がご自宅で亡くなられました。

リハビリ、看護とも何年にも渡って訪問させていただいておりました。
私がリハビリを担当しておりました。

かなりのご高齢で、これまでも度々「今年の冬は超えられないかもしれないね」という主治医の言葉がありました。
食事もとれなくなり、いよいよかというときも徐々に食べられるようになり元の体調に戻るということを何度も繰り返してこられました。

今回もまたもしかしたら元気になられるかな?と思いながらの訪問でしたが、ほとんど食事もできなくなり、飲み物も飲みたがらなくなり、これはいよいよ旅立つ準備をしているのかもしれないと思いました。

長年訪問させていただいていたこともあり、とても寂しくもあり、御本人の希望通り病院に行かずに自宅で最期を迎えることができそうでどこか感慨深いところもありました。

私が気になっていたのは、御本人がもう旅立つ気持ちでいるのかというところと、ご家族と挨拶ができたかどうかでした。

まだ心残りがある状態では幸せな最期は迎えられないのではないかと思ったからです。

おこがましいようですが、何かお手伝いはできないかと思いながら訪問していました。

私が尊敬する在宅緩和ケア医の先生は家族への働きかけを必ずします。
「ありがとうを伝えてあげて」「頭を撫でてもらいな」など。
その先生が看取った方々のご家族は亡くなったあと「自宅で看取ってよかった」と言います。
それは最期の挨拶ができたからだと私は思うのです。

私も息子を亡くしています。家で看取りました。
私は息子にありがとうが言えたのは意識が無くなってからでした。
そこが心残りでした。
私はそれから、残り余命僅かなご利用者様のご家族にはこの私の悔いを伝え「ありがとうを伝えてあげてください」と伝えています。

今回もお嫁さまへこの気持ちは伝えさせていただいていました。

ある日の訪問時お嫁さまから「世話になったな。ありがとう。」とお嫁さまに言ったとお話がありました。
お嫁さまもありがとうが言えたとのことでした。
私はそれを聴いて、御本人も亡くなる心づもりができていることを実感しました。そしてとても扱き使って来た様子のお嫁さまに自ら「ありがとう」が言えたことがとても素敵な方だなと改めて思いました。
私もありがとうが言いたくなり、訪問の終わり際に「長い間本当にお世話になりました。ありがとうございました。〇〇さんのところへ訪問できてよかったです。」と伝えました。
その頃はもう声がほとんど出なくなってきていましたが、ゆっくりとうなづくことで返事をしてくださいました。どこか笑顔にも見えました。良いように取っているかもしれませんが、「こちらこそ、ありがとう」と言っているように見えました。

この訪問の次の日、100歳をゆうに超える大往生をご自宅でご家族と一緒に迎えられました。
ひ孫様も最期の時一緒に居られたとのことです。
こどもたちにも「死」を感じさせることが亡くなっていく者の最期の仕事だと言われています。
「死」を感じることで「生」が輝きます。
立派に仕事を果たされて旅立たれたのだと思いました。

弔問に看護師とともに伺ったとき、息子さんが言っていました。
「嫁にありがとうが言えて、嫁もありがとうが言えたみたいで良かったよ」

最後に挨拶ができることがやっぱりとても大切だと再度実感しました。
そして、そのためには自宅で死を迎える必要があると改めて思いました。

大切な人とはいつか必ず別れが来ます。
みなさんも「ありがとう」と笑顔で挨拶ができると良いですね。私もそれを目指して生きていきます。

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